哲学対話の会(2019.03.03)報告

第3回(2019/03/03)は、15名で哲学対話を行いました。

趣旨・ルール説明、自己紹介のあと、参加した人から問いを出し合いました。

 

出された問いは以下のとおりです。

①私たちにとって芸術とは何か(必要なのかも含めて)

②文学は必要か

③表現するって何だろう

④なぜ人間は表現したいのか

⑤偽善とは何か

⑥差別はなくなるのか

⑦人はなぜ集団になると違う力が生まれるのか

⑧自分の人生はその人の力でどれくらい変えられるか

⑨子どもにとって教育の場はどこなのか(学校、家庭、社会)

⑩差別はどうやって起こるか(偏見、先入観、差別の違い)

⑪人々は一般的に障がい者に対してどう感じているか

⑫家族とは何だ(昔、サザエさん一家のような理想像があった…)

⑬責任とは何か(責任といって誰かになすりつけて済んだことにしていないか)

⑭責任ってとらなくちゃいけないのか

⑮だれも責任を取らない世の中はありうるか

⑯自分にとって死とは何か

⑰人はどうしたら自発的に責任感を持てるか

 

これらの問いの中から「責任とは何か」に決定し、対話を行いました。

 

・責任の概念は昔からあったのか、いつから生まれたのか

・集団になるとけんかが起こる、紛争を解決するために責任の概念が生まれたのではないか

・原因を明らかにしたいという気持ちがある

・自分のせいにしたくないという気持ちは自然にある

・誰のせいでもない、責任など存在しないという考え方もありうる。良くないことが起こっても神秘的な力(神など)のせいにすることもありうる

・人には責任を感じる能力が本来的に備わっているのではないか

・責任を感じる能力がもともとインプットされているというのは疑問である

・責任を感じる能力があるから人類は生き延びてこられたのではないか

・責任と能力はセットである

・責任のある世界は生きづらい

・自分で決めたと思っていること(例えば、今日は寿司を食べると決めたこと)も実は前に見たテレビの影響を受けていたり完全に自分の意志だったとはいえない

・現代人はスマホ依存症、思考回路が浅くなっている

・「依存症」といってしまうとその人の責任が薄れる、その人の意思決定にみえても環境要因も大きいはず

・子どもを叱るときいつも迷う、はっきり言える人がうらやましい

・親が取る責任だけでなく、こどもが取る責任もある

・池にこどもが落ちて溺れたら、フェンスを立てなかった行政が悪いのか、教育しなかった親が悪いのか、子ども自身が悪いのか

・病院で働いているが、医療ミスがあり報告書を作ることはイコール「その人が悪い」ということになる。医療ミスには起こる過程があり、そこから学んでみんなの責任にするべき

・現代人は「理性」を信じすぎている

・仕事でお金をもらうことによって、必然的に責任は生じるものではないか

 

メモを取れないほど次から次へと話が飛び出したり、質問が飛び交ったり、じっと考えたり、、の濃密な2時間でした。

「責任」という言葉にネガティブなイメージを持っていた人、そうでない人、様々だったと思いますが、それぞれに思考を深めることができたのではと思います。

 

次回は、4月13日(土)14:00~16:00を予定しています。お申し込みはお早めにお願いします。