第4回(2019/4/13)は14名で哲学対話を行いました。
趣旨・ルール説明、自己紹介のあと、参加した人から問いを出し合いました。
出された問いは以下のとおりです。
①私にとって芸術とは何か
②会社組織は今後必要か
③人間とは何なのか
④人は高揚すると過ちを犯しやすくなるのか
⑤言葉の意味とは何か
⑥わかるとは何か
⑦元号が変わるのはどういう意味があるのか
⑧私にとって平成はどういう時代だったのか
⑨芸術の力で人を救えるか
⑩信用と信頼はどう違うか
⑪習慣とは何か、それを変えるにはどうすればいいか
⑫他人に心はあるのか(ロボットには心はあるのか、道を歩いて人には心はあるのか)
⑬心って何ですか
⑭地方とは何か
⑮人は他人に興味があるのか
⑰依存とは何か
これらの問いの中から「心って何だろう」に問いを決めて対話を行いました。
・子どもの心ははまっさらだが教育で歪んでくる
・相模原事件を見て、犯人の考え方を否定する人、肯定する人どちらを見ても心が縛られていると感じる
・心は漠然として目に見えない
・心を揺さぶられることはある
・美しいと感じるとき、憎しみを感じてくるとき心はあるが、どこから生まれてくるかはわからない。自分ではどうすることもできず、生まれてきてしまい、成長するにしたがって様々に感じてしまうもの
・心に形はあると思っている人はいるか
・心は見えなくても、「心のこもった絵」はある。表現されるものではないか
・19世紀以降の残虐な事件、戦争、原爆などはなぜ起こるのか、心はいい加減なもの
・心はいい加減なものだからよい
・心を込めて、というと良い心ばかり想起されるが、悪い心もある
・ロボットには心はない
・悪い人の悪い心も彼らなりの精いっぱいの心
・良い人が悪い人になりやすい、集団の力は怖い
・原爆が生み出されたからといって科学技術が悪いわけではない、使われ方の問題
・心は欲望があるから、良い/悪いが出てくる
・人類は進化しているのか、心を持つことが生物学的に良いか悪いかわからない。知能の発達に関わっていると思われるが定かではない
・動物は何を考えているのか、猫などを見ていると心があるように思える
・心を説明するとき東洋哲学の「体、相、用」で説明できないか
・心を物質的に言えば電子の流れでしかない
・心を科学的に説明しようとすると、どうしても因果で説明できない、突破できないところがある。それが自分はAIに心が持てないと思っている理由である
・AIに心を持ってほしくはない
・一人の人の中に心が4つ、5つあってもおかしくないと思う
・「意味ないじゃん」という言葉が軽々しく使われるのを聞くと、答えのない問いを問うのが人間ではないかと思う
・我々が心で考えている、自由に行動していると思っていることも、実は全て初めから決まっていたのだと考えることもできる
・心は一つ、自分の心だけではないか、他人の心は理解できたと思っているだけ
対話を終えてからの一言では、
・私たちは何を知っているのか、怖くもあり面白くもあると感じた
・心について論理的に話すのは難しかった
・テーマが広すぎた
などの感想がありました。
今回はテーマが抽象的で、参加人数も多かったため、お互いの発言の意味するところを確認することも簡単ではなく、参加された方のほどんどが内容にしろ、議論の方法にしろ肚落ちしていないと思います。
ただ、お互いの意見が言いっぱなしになるのではなく、理解しようと質問しあう場面が多数あったことは、哲学対話らしくなってきたとうれしく思っています。
「哲学対話、哲学カフェがなぜ存在するのか」の答えの一つとして、個人の思考プロセス(理由付け、因果の考え方)が一人ひとり違っていて、自分にとって論理的な説明が他人にとってはそうではないことを確認するとともに、相互理解の方法を鍛える場なのではないか…と思いました。
次回は6月8日(土)14:00~16:00を予定しています。